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松坂直美が綴った、ふるさとの詩

松坂直美さんがお亡くなりになる3年前に綴られた詩には、ふるさとへの

思いがつまっていました。

ふるさと、壱岐への思い。

○壱岐関係者

 

  壱岐の人が東京にでてくると松坂の自宅を訪ねてきた(頼ってきた)

  郷里の先輩である、松永安左エ門「わが人生は闘争なり」を出版し

  ている。

 

○八丈島 長女・岡野みちこさんの話

 

  詩人家・遠藤実が訪ねてきて、お父さんの生まれた島を見てきな

  さいと言われたことがあり、壱岐での生活が作詩家松坂直美の根本

  を形成している。

 

○遠藤実

  遠藤実はデビュー当時、松坂が作詞した「街の艶歌師」が大好き

  で松阪さんに手紙を出している。それ以来、遠藤は自分が手がけた

  歌手には街の演歌師を歌わせている また、壱岐の歌も遠藤は多数

  作曲している。

 

壱岐に残した校歌

壱岐市立芦辺小学校 

作曲は遠藤実。校名の芦辺は登場しないが、各番も「楽し学舎(まなびや)われらが母校」で終わる。 

松坂直美ビデオ制作プロジェクト

松坂邸撮影風景

松坂直美ビデオ制作プロジェクト

壱岐・岳の辻にある玄海ワルツ歌碑

壱岐市立田河小学校 

作曲は原賢一。各番とも「伸び行く田河小学校」で終わる。

壱岐市立田河中学校

作曲は八州秀章。各番とも「田河 田河 田河 田河中学」で終わる。 

壱岐市立那賀中学校

作曲は八州秀章。各番とも「学ぶ那賀中楽しい母校」で終わる。

松坂直美ビデオ制作プロジェクト

芦辺小学校

昭和詩人
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